Ryuさんの黄昏終活日記

日々の何気ない生活を綴っていきます。

ナフサ船           自分史(3)船会社時代

Ryu

 中東情勢のニュースの中で「ナフサ不足」が騒がれている。私はこのナフサを運ぶ専用船に乗船したことがある。一般的にナフサつて知らない人が多いと思うが、私も昔は同様にほとんどナフサについての知識はなかった。


初めてナフサ船に乗った時に教えてもらったのは、ガソリンと同じぐらいの揮発性 イメージとしては「ベンジン」と同じようなものと教えられた。


大変危険な船だったのだのだが、知識不足が幸いしていたのかもしれない。恐怖感はなかった。


 ナフサの積み出しは主にサウジアラビアのシャイバという港だった。積み出しや陸揚げの最中はもちろん火気厳禁、船の構造はもちろん二重構造の防爆構造になっている。通常の航海中は、防爆区域では火の使用できるが、港の作業中は一切使用ができない。したがってその時の食事はすべて蒸気で加熱されたものしかでない。


荷揚げ用のポンプは電気を使用しない。蒸気駆動のタービンポンプが数台(もちろん大型防爆構造)が使用される。(引火を防ぐためである。)


ナフサは腐食性があるので、船体のサビ付きには注意をしないといけない。また揮発性が高いので航海中、太陽の熱で甲板が加熱されないように、昼間はポンプで海水をくみ上げて甲板を冷やしている。


当時は若かったので、ナフサがこんなに多くの日々の製品のもとになっている重要なものとは思いもよらなっかた。


まさに日本経済の成長活動のど真ん中にいたのだ。


今日のランチ

Ryu

 15年ぶりぐらいに行った店のランチ、今も変わらず健在でした。


50代 後半頃に時々行ってたのですが、ある時から バタン!と急に行かなくくなりました。

最も私の仕事の都合で移動したからです。


三段ランチ ドリンク付き 980円        今考えれば安い!!


彩がいいですね。茶わん蒸しはこのあたりの喫茶店の定番。モーニングの余り かな?(笑)


ドリンクはアイスコーヒーです。

大型タンカー         自分史(2)船会社時代

Ryu

 つい最近、中東から原油を満載した大型タンンカーが、日本(名古屋)に入港した。出光興産の「出光丸」である。まさしく「海賊と呼ばれた男 日章丸事件」を思いださせる光景でもあった。この船、初代は1960年代に建造されているが、現在は3代目でまさに日本の誇りとなるべく、「故出光佐三」肝いりタンカーである。

   出光丸の仕様は

    重量トン数  :30万トン

    全長     :333m

              幅      :60m

             主機関        :デーィゼルENG  1基   となっている。


私が初めて乗船したタンカーS丸は、35万トン、全長320m程度だったので、この出光丸とほとんど変わらない。1970代初期のタンカーとしては、世界有数のタンカーであったことは間違いない。唯一違うのは、当時の主機関は蒸気タービン 高圧 低圧の2段ENGであった。それがディーゼルになっているのは驚きでもある。技術革新?なのだろうか?(当時はこのような大型のデーィゼル機関は不可能とされていたからだ。)


300m近くの長さになると、航海中のシケより、大きな波がたつと船体が大きくたわむ。逆にたわまなければ、船体が折れてしう。波の谷間の中で凹凸状にたわみを生ずるのを繰り返す。船体構造力学的には計算されつくされているのだが、乗船している本人にとっては、わかっていても気持ちのよいものではない。


眼の前で自分の船が自分の眼でわかるぐらい曲がってしまうのだ。


曲がり方には 凸状 ホギング 凹上 サギングのふたつがある。


シケの間中この大きなたわみを繰り返す。


しかしこのたわみが我々の命を守っている。


1960年代に船体が真っ二つの折れて沈没した Japan Line のボリバー丸事件があった。これが日本の海難審判の中でも有数の事件でもあった。  (Continue)