ホルムズ海峡 自分史(1)船会社時代
「ホルムズ海峡」という言葉が、この2か月ほどの間、毎日のように報道番組やニュースで伝えられている。ほとんどの人は、それがどこにあってどんなところなのか?知っている人は、ほとんどいないと思う。(当然でしょうが~)
しかし私には、それがひどく懐かしい所で、この言葉の響きを聞くと、瞬時に50年前の自分(20代の自分)にタイムスリップしてしまう。
ホルムズ海峡がこれほど脚光を浴びるのもまた50年ぶりではないかと思う。
1970年代の数年間、私は何度もこのホルムズ海峡を通過していた。当時私は、日本最大の船会社において、エンジニアをしていた。そして超大型油槽船(オイルタンカー)に乗船して、なかでも今最もホットな「ナフサ船」などにも何度も乗船していた。
中東(クェート ラスタヌラ シャイバ カーグ島など)と日本(川崎、千葉、名古屋、堺などの石油精製プラントのある所)を結ぶ大型船は、当時の日本の高度成長を支えてきた最大の原動力であったことは間違いないと思っている。
当時、中東に行く船は「花のペルシャ湾航路」と呼ばれていた。何故そう呼ばれていたのか?私にはわからないが。。。。
日本を出て、7日(一週間)でシンガポール沖を通過、マラッカ海峡を通過してベンガル湾 インド洋~ホルムズ海峡そしてペルシャ湾に入る。片道 約17日の航海である。
接岸して積荷で約3日ほど 片道20日 往復約40日が、花のペルシャ湾航路の壮大な旅となる。 (Continue)
下記はもちろん私が乗船したものではないですが、イメージ的には同じです。当時最大級の35万トンのタンカーにエンジニアとして乗船していました。
私は相当、かなり奇怪な人生を歩んできた。今今まで自分の過去について語ったことはほとんどないと思う。
それは他人には理解できないようなことだからだ。
決して誇れるような道を歩んできたわけではない。むしろアウトローな人生だっただろう。しかしこの年齢で、自身の記憶が薄れていく前に、ささやかな自分史を書いてみようと思ったのです。
30万重量トン原油タンカー 4隻で東京ドーム満タンです。日本郵船の「 土佐 」菊間沖